『HY市バードウォッチング同好会』の小学生会員を連れてカワセミを見に [子育て・教育]
一昨日(10/30)は『HY市バードウォッチング同好会』の小学生会員の通う小学
校が振替休日でした。
そこで以前から子どもたちから「カワセミを見たい・撮りたい」また保護者の
方々からも「是非」ということで、いつも私が出かけているカワセミポイントへ
連れていきました。
出発前に子どもたちと次のような約束をしました。
・現地ではバードウォッチャーとしてしっかりと挨拶をする
・野鳥を驚かしたり、他のバードウォッチャーに迷惑をかけない
(大きな声・足音に注意 野鳥に近づきすぎない)
・野鳥の姿や様子をしっかり観察する
・トイレは1人で行かない
・ゴミは持ち帰る
小学生5人、重いフィールドスコープをかつぎ、カワセミなどを観察、そして
デジスコで野鳥撮影。
(*その様子はこちらへ)
子どもたちは素晴らしい観察眼を持っています。また素晴らしい写真を撮りました。
(*小学生の撮った素晴らしい写真 A B C )
昼食中には、すぐ後ろの3~4mにある杭にカワセミが訪れ大喜びでした。
フールドスコープでは近すぎて後ろに下がって特大のカワセミを堪能しました。
午後からは、会員のM.Nさん(HM市)もやってきて野鳥写真などを見せて
いただき、楽しいひとときを過ごしました。
改めて子どもの頃から野鳥や自然とかかわることは素晴らしいことと感じました。
子どもたちは約束もしっかり守り、 帰りには多くのお世話になった方々に笑顔
で「さようなら」の挨拶もしっかりできました。
お世話になった方々、ありがとうございました。
教育のあり方について-高校必須科目未履修問題から [子育て・教育]
全国各地の公私立高で必修科目が履修されていな実態が明らかになり、マスコミなどで大きく取り上げられている。
教育に係わったものとして何とも情けない。
教育再生会議も発足した。ここでも目先の学力やいじめ等の行き当たりばったりの話し合いのように感じてならない。
戦後の昭和30~40年代頃から、子どもが大変だということで受験科目を減らしたり、何か間違った思いやりや平等感が教育をおかしな方向に向けてしまったとしか思えない。
私の子どもの頃(すぐ年寄りがいうことだが)、中学から公立高校への受験は9科目、私立は5科目の入試だった。
特に公立高校は9科目900点満点で、いわゆる芸能教科と呼ばれる音楽・図工・体育・技術家庭の点数も同等に扱われていた。
いつのまにか主要科目?と言われる国語・社会・数学・理科・英語の5科目になり、私立は3科目という学校が多くなってきた。
大学の入試科目も同様の傾向である。
その結果、最近の若者は常識的なことが知らないのも当たり前である。
受験に必要のない科目は手を抜き(多くの高校も)、目先の受験のためだけの勉強しかしてこない若者が多くなってしまったのは当然である。そして大学に入っても勉強せず遊びほうけている学生も多いようだ。
一昨日から報じられている高校の教科の未履修の問題も学校自体が教育の本質を忘れ予備校化して、本来の公教育の子どもを人として育てる視点が抜けてしまった結果であろう。
私は、学校(特に義務教育)は知識だけを学ばせる場ではなく全人格を育てる場と捉えてきた。よく知・徳・体をバランスよく育てるのが教育だといわれている。
現在は、知(そのうちの狭い意味での学力)しか重点にされておらず、徳(心の教育)や体(体力のない子どもの増加)についても多いに議論し、教育の本質である家庭・学校のあり方について社会全体で考えてきたい。
特に教育界は改めて未来を担う子どもの教育について真摯に議論を深め、文部科学省や教育再生会議等にも積極的に現場の問題・教育現場の考える未来の学校のあり方について提言して欲しい。
日光での自然体験=戦場ヶ原の花 [子育て・教育]
「ワタスゲ」も風にゆれていました。
日光での自然体験=野鳥 [子育て・教育]
日光での自然体験=熊 [子育て・教育]
日光には、熊もいます。
普段はなかなか見られませんが、今から30年ほど前の5月中頃、涸沼で
遠くから見たことがあります。
今回のフィールドワークでは、熊が木の幹で、爪をといた? ひっかいた?
あとがありました。
日光での自然体験=鹿 [子育て・教育]
日光での自然体験=チョウ [子育て・教育]
日光での自然体験=ハルゼミ [子育て・教育]
日光移動教室へ [子育て・教育]
「山びこ学校」-無着成恭 [子育て・教育]
雪
石井敏雄
雪がコンコン降る。
人間は
その下で暮しているのです。
この詩は戦後日本の教育の1つの実践記録として話題となった「山びこ学校」の冒頭の詩です。
昨日の夕方、たまたまケーブルテレビで放送されていた番組=ドキュメント[山びこ学校と無着成恭]を見ました。
『山びこ学校』は戦後日本の教育の原点であり、私も教師になる前に読みあこがれた教育実践記録でした。
地域から理解されず、村から出た無着先生が、その後明星学園でも、テスト教育反対を貫いて教職を退き、現在僧職に帰依した人生の後半を紹介していた。
最後に学校で学ぶことは「人間になること」、そして社会の最小単位の「家族」の在り方を学ぶ場だということを述べていました。
学校は知識だけを学ばせる場ではなく全人格を育てる場と捉えていた私は、最近の学校の現状を見ていて改めてこのことを再確認しました。それと今一番難しいことですが、地域(保護者・社会)に学校のあり方・家庭のあり方をもっともっと自信を持って啓発していかねばと強く感じました。
今各学校は多くの課題を抱え・抱えさせられ忙しさに追われています。
各学校の教育目標は人間としてこうなってほしいという願いを『教育目標』として掲げています。
先生方には、あたりまえのことですが常に教育目標を意識して1時間1時間の授業を大切にして欲しいと思います。
がんばって! 先生たち
最近の事件から-親殺し- [子育て・教育]
最近、親を殺すという以前は考えられない事件が多く起こっている。
今日も、ニュースで報じられていた。
少し前までは、介護問題がからんで悲惨なことになってしまったといことが多
かったが・・・。
数年前からまだ学生やニート・ひきこもりの若者(~40歳くらいまで)がこ
ういった事件を起こすのが目立つ。
大学を出ても就職しなかったり、したくても就職できずにいる社会状況もあるが・・・。
就職しても長続きしなかったり、ニート・ひきこもり状況になってしまう若者の一
部がこのような事件を起こす例が多いようだ。
いくら不況の世の中といっても、いくつになっても親がかりの子どもがいるのは
どうしてか?
親も、我が子かわいさから甘やかし育て、子どもの自立をさせないできた結果で
あろう。
子育てとは、「子どもが自立し、将来一人前の社会人として育てていくものだ。」
と私は考える。
しかし、現状は親が甘やかし、子どものためだと思ってしていることが子どもを
だめにしている例を多く見てきた。
すぐ昔のことだと言われるが、私と同年代の人間の多くは「早く大人になりたかった。」
「家を出て親から自立したかった。」と考えていた。
自立して自分で働いて、夢をかなえるチャンスを待ち、結婚してあたたかい家庭
をつくって・・・そんなことを夢みていたものだ。
親と意見が合わず家を飛び出して、一人暮らしをしているものも多かった。
親がうるさかったら自分から自立すればよいのだ。そんな気概のある若者は最近見
られない。親も甘やかし、必死に引き留めるからだろうか
今の学生や若者は、自分にあった仕事がないなどといいながら働かないものも多
い。仕事として自分の夢を実現できるものなどそうそうない。
なぜ、実生活を考えず、年金暮らしの親の収入に頼り、夢を追っている若者にし
てしまったのか。
そういう子どもを生活させることができる豊かな?時代になったのか?
今のままの状態で、家庭のあり方・学校教育のあり方が続くとしたら、さらにこの
ような事件は増えるだろう。
『子育てとはなにか?』『 どうしたら自立する子どもを育てられるか。?』
ということ家庭教育・学校教育について、真剣に考えなければいけない時期であろ
う。
朝の挨拶 [子育て・教育]
私の習慣になっている朝の散歩も4月から時間のゆとりもでき、近所の子ども達の
登校時間に合わせて歩いています。近所のおじさん(おじいさん)になろうと思うか
らです。
角々には防犯協会の方々や保護者の方も立って、子どもたちを見つめています。
しかし、入学式・始業式から1週間ほど経ち、保護者の方の見守る数が減ってきてい
ます。
始業式から1週間という約束での見守りかもしれませんが、保護者自身が子どもを
見守るという意気込みを忘れぬようにしたいものです。
防犯協会の方々は子どもたちに「おはよう。」と声かけしているのですが、元気に
挨拶する子どももいる一方、意外と挨拶が出来ない・無視して過ぎ去る子どもも多い
のです。
学校では当然“挨拶”の指導をしていると思いますが、各家庭ではどうなのでしょ
うか?
地域社会・保護者同士のつながりが子どもを守るのに重要だと言われています。
せめて、保護者自身ができない見守りを地域の人たちがしてくれている感謝の念を
持ち我が子に伝えていれば、子どもたちは自分たちを見守ってくれる人たちに自然と
挨拶をするようなると思います。
各家庭での躾、近隣とのつながりを大切にする親の姿勢が『子どもの安全』につな
がることを再認識したいものです。













